The Garbage Collection(V3.0以降)blog ~十分一本勝負~

十分間だけをかけて何事かを書きます。気が向いたときとかに。

兵どもが夢の跡

 近頃のテレビ放送を眺めていて思うのは、嗚呼、もうテレビの面白さの鉱脈は粗方堀尽くされてしまったのだろうなあ、てことであって、自分が見知っている四十年がところを振り返ってみても、イレギュラーな面白さ、の鉱脈発掘に費やされてきた時間、という気がしてならん。たといば八〇年代前半、名優のカテゴリーに居た松方弘樹が今を時めくビートたけしとコンビを組んでバラエティ番組のメインになる。なんてのは当時としたらかなりのイレギュラーな事であった。あれから幾星霜。いまでは俳優女優がバラエティ番組に出るのはすっかり当たり前になって、為にイレギュラーな面白さはなくなってしまった。他にも島田紳助が報道番組のメインキャスターに就任した際には漫才師がキャスターに、というので相当なイレギュラーな面白さがあったものだがその手のこともいまでは新味がなくなった。いまや、テレビにその手のイレギュラーの鉱脈は残っておらんのだろうと想像するけれども、テレビの中の人たちはまだ探し回っている風が紛々と漂っていて、つーか、イレギュラー=テレビ放送、みたいな事にすらなっているように思われてならんよね。二四時間テレビのマラソンの人選とか見るとさ。

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気持ちは判らんでもないがねぇ。

 まあこの分で行くと、今年も年末に聞かれるだろう二〇一四年を現す一文字、なんてのに『偽』という文字が選択されるのは必定、というくらいに世の中では虚偽が暴かれ白日の下に晒されている。で、そんな世上を眺めていて不図思うのは、たといば、自分が作曲したという名目になっている交響曲が大変な評判を呼ぶ、或いは、コピペを活用したやも知れぬ論文が世紀の発見と世界中で話題になってしまう、といった現今のような状況に身を置いたときに、果たして、その御当人というのはいったいどんな心積もりになるもんなんだろうか。ということ。どこかでバレるかも知れないと、まるで何かに追われるが如くに戦々恐々として日々を暮らすのか、それとも映画『キング・オブ・コメディ』の中にある「どん底で終わるより、一夜の王でありたい」といった台詞よろしく、その状況を受け容れ自らの嘘を信じてしまうのか。まあいずれにしても、砂上の楼閣なんて長持ちしないよね、でも楼閣を建てたがるひとは砂上でもいいから! みたいにとにかく楼閣を建てちゃうよね。と思う。

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まあまだやりますよ。

 いろんな事が暴れてしまう。現代のベートーベンは希代のペテン師だったと暴かれたし、STAP細胞で話題を集めた人も実は論文をインターネッツからコピペしたんじゃね? なんて疑われているし、夕刊紙のゲンダイはダルビッシュ投手について書いたその記事の内容についてまるっきりの出鱈目とダルビッシュ投手ご当人からtwitterで指摘/指弾された。なんつーか、インターネッツの時代になって世の中の検索性が上がってしまったから、もう、この手の嘘は通用せんのだろうと思う。隠しおおせんのだろうと思う。が、そう思う一方で、我々庶民の目の届かない、手の届かないところにあるような途轍もない巨大な嘘や巨大な悪については、きっと厳重に、厳粛に護られているのだろうと想像する。そのぐらいの甘美な想像を働かせる余地が残っていないと、幾らなんでもあんまり世界がつまらなくなっちゃうものね。まあそういう意味に於いて、これだけあらゆる事が詳らかになる世界になったというのに、てんでその行方がわからない旅客機、というのは、心配になる反面ちっとばかり、浪漫的な、甘美な想像力を刺激して止まないよね。

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ほんとにどうもすみません。

 なんかあかんことになってきた。このブログは最早誰も観に来ないし、本体のサイトなど新作を更新した途端にアクセスの数ががっくりと下がってしまう。なんつーかこの、やればやるほど評価が下がる、みたいな現状。いや、評価が下がる、というのは飽く迄、第三者からの評価があるという前提に立っての話だけれども、現在というのは、そうした評価の対象にすらなっていない感じだものねぇ。てんで相手にされていない感じだものねぇ。もうあかんのかもしれないなあ。いくら自分が愉しくったって、限界があるものなあ。もうあかんかもしれないなあ。どっかで誰かが観ててくれんのかなあ。でもまあ、そう思ってやるしかねぇかあ。俺は俺を裏切れんものなあ。弱ったなあ。俺、いま、相当につまらないんだろうなあ。ワラパッパとかよりつまらないのかなあ。というか、これまでだって面白かったときなんか無かったのかも知れないなあ。勘違いしてただけなのかも知れないなあ。いやだなあ。そういや、自分が面白いと思った話に対して、キョトンとされる事も多かったもんなあ。自分で思ってるほど俺あ面白かあないんだろうなあ。いやなことだなあ。そういうことには気付きたくないよなあ。勘違いしたまま生涯を終えたいよなあ。おもしろくなりたいなあ。いやだなあ。いやだなあ。ほんとにいやだなあ。

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未来の記憶。

 たといばこの、電車に乗っていても街を歩いていても、見かける大半の人々が、掌に乗せたぴかぴかと愉快に光る電気の板をばすりすりして、便利な情報を自在にゲット、将又、知り人とのコミュニケーションを縦横に計ったりしていて、なんつーかこの、うーむ、未来は今、だなあ。なんて、コーエン兄弟の昔の映画のタイトルみたいなことをつい思ったりなんかする。のだけれども、そう思う一方で、それほどの未来でもないよなあ。二十一世紀も十四年に垂んとすれば、きっと未来はもっと薔薇色の進歩した世界になってるはず、という、餓鬼の頃に夢想していたような、すんばらしい未来には到底届いていないような気もする。果て、どうしてそんなしけたようなことを思うのかしら、と、暫し考えてみたらあれだ、ドラえもん的な未来がちっともやって来ていないから、だと思った。そらインターネッツスマホSNSもぐんぐんに進化したけれども、その一方で、タケコプターやどこでもドアやタイムふろしきといった、愉快なみらいのどうぐが何ひとつ産み出されてはいない。そういうドラえもん的な未来が全然実現されていないから、餓鬼の頃、具体的には七十年代の末とかに想像していた未来がてんで来ていないような残念な気がするんじゃないか。なんて思ったんだよう。

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嘘つきはどっちだ。

 まあ人様の気持ちなんてものあ本質的には理解出来ない。だからすぐに「あなたのことはよくわかる」なんて宣う人を信用することは出来ない。という前提で云うのだけれども、たといば、リアルで出来ないことでもネットでなら出来る。みたいなことを云ったり、叉、実際その通りにやってのけたりする人があるけれども、そういう人の事が恥ずかしながら私はまったく理解が出来ない。私なぞは平素から、つまりあいわゆるところのリアルの世界では、見ず知らずの人や初対面の人に気安く/心安く話しかける、ということがまったくといっていいほど出来ない。そんなことをするような責め苦を負うくらいならばいっそ死ぬまで口など利かぬ。ぐらいの事を思って、その場の隅に収まりじーっと押し黙っていたりするばか者だ。そういう人間の性質はネット上でも遺憾なく発揮されていて、たといばtwitterなどでもリプライひとつ飛ばすのにも大変な勇気と決断を必要とする。ところが世の中には、リアルでは人と上手く話せないのにネット上では軽やかに会話を楽しんでいる人、というのが少なからず存在するらしい。平生、教室や職場では独りぽっちで居るのにネット上のコミュニティにあってはごく快活に、恰もリーダー然として振る舞う。そんな人が結構居るらしい。でもなあ、リアルとネットってそんなに別モノなんだろうか、といつも思ってしまう。何処にいてもその人の持つ本質は変わらんのじゃないだろうか、と思う。リアルで不器用なことはネットでも不器用なことなんじゃないかと思う。そこを勘案せずに、まるで、ネットでの自分はリアルの自分と切り離された別人格、みたく考えて振る舞うと、やっぱどこかに無理が出て、最期には「ヤフーチャット万歳」的な事になっちゃうんじゃあないか知らん。なんて思う。

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零落れて袖に涙の

 いつの間にか一週間も更新をさぼっていて自分でも驚いた。たかだか十分間、毎日パソコンの前に座って何事かを書きつける、などというこんな簡単なことすら満足に遂行出来ない落ち零れになってしまった。そう。吾輩はすっかり落ち零れてしまった。たといばIT関連についても落ち零れだ。それに目覚めた八〇年代の中頃から後半にかけては吾輩とて時代の先頭を切っていた。まだ世の中の皆さんがパソコンについてどこか怪しげなもの、SFの世界の中にあるもの、先進を気取るようななガキがゲームをあすぶために大枚をはたく無駄の極み、という程度の認識しかなかった時代に早くもパソコンを所有、ベーマガなんかの雑誌に掲載されたブログラムを打ち込んではシンタックスエラーに悩まされていたあの頃……たしかに吾輩は時代の先頭集団に居た。あれから幾星霜。それがいまではすっかり世の中のITに立ち後れた落ち零れとなってしまった。世の中の皆さんが随意に、普通に日常の中でスマホを操作、LINEなんかで知り人と楽しくメッセージのやり取りをするようなユビキタス社会だというのに、吾輩ときたら未だにLINEのアカウントすら持っていない。どころか日常の中でスマホを操作、したりすることにどことなく気恥ずかしさを覚えたりする。そういうわけですっかり吾輩はITな世界から落ち零れてしまった。もう取り返しはつかない。みんなが繋がるユビキタス社会の片隅で独りで寂しく、繋がりなど求められなかった往時を懐かしんで生きていくばかりの落ち零れの人間の屑だ。昔は良かったなあ。8ビットマシン華やかなりし頃に戻りたいれす。ユビキタスとかマジやです。