The Garbage Collection(V3.0以降)blog ~十分一本勝負~

十分間だけをかけて何事かを書きます。気が向いたときとかに。

ほーえぱーやんぐ

 それが世の中の空気風潮と連動しているかどうかまではよくわからんのだが、テレビドラマの中で登場人物が歳を取らなくなって久しい。たといばいま放送している朝の連ドラ『ごちそうさん』にしても物語中の時間はけっこうな速度で進んでいて、ドラマ開始当初には学徒だった主人公の男女二人も作中で結婚、而して後、次々に子を為し、いまではその息子が学徒動員されるなどという、結構な年齢に挿し掛かっている。だというのに、どうしたことかこの主人公の男女二人の見た目が一向に老け込まない。メリケンと戦争をしていた頃の日本人であれば、我が子が学徒動員されるぐらいの年格好となれば、紛う事無き中年の相貌となって然るべき、と思うのだが、この作中の夫婦者ときたら白髪の一本も生えず、皺の一つすらよらないつるつるの顔のままだ。そういうわけだから、現在、この主人公の家族が寄り集まる場面ともなれば、同年配の若者たちが寄り集まってウダウダ話し込んでいるだけにしか見えず、到底家族が勢揃いしているようには見えない。つか、これを家族と云うだなんて、いったいこの人たちあ何をふざけてんのかしら。ぐらいに思ってしまう滑稽な絵柄と成り果てている。いくらドラマん中だとしても歳は相応にとらないと駄目だよね、と思う。たとい演ずる俳優に老醜の印象が顕れたとしても、若者が寄り集まっているようにしか見えない滑稽極まる絵柄を作っておいて家族でござい、なんて云い張ってるのに比べたら余程、まともだと思うんだがなあ。そんなに歳ィ取るのって嫌なのかねぇ。

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時代のアイコン

 たといばゲーム機。こないだPS4が出たけれども考えてみたらあれだ、初代のPSが出てから既に二十年以上が経過してしまっていてまったく驚いちゃうよね。しかし驚くのはその経過した時間の長さばかりではない。発売から二十年が経過したいま、初代PS、或いは同時期に発売されたセガサターンのことを思い出すだに、その印象に「新しいもの/新規なもの」というイメージが付与されている。二十年前のものなのにどこか新しいものを見るように思っている。これはいったいなんだ。と思って少しく考えてみたところ、つまり、余のような爺にとって、初代PSやセガサターンなんかのゲーム機てのは、まったくもって新規なものだったのである。後から出てきた斬新なものだったのである。次世代機、なんつわれて、任天堂絶対王朝の世界から、コンシューマゲームの時代を大きく転換/前進させた革新だったのである。この印象と記憶はたとい二十年経っても消えることはない。むしろ、記憶の美化/強化の影響もあって強まっている。それが為に、二十年も昔のゲーム機を思う際に、まるで新しいものを見るような印象がついて回ってしまうんである。と、ここまで考えて不図思う。我々の親の世代、つまりあ戦中産まれから団塊の世代の人々にとっては、きっと、テレビってそういうものなんだろうと思う。テレビが世の中に産まれ、映像娯楽が家庭の中に入り込んでくるというそれまで未体験だったことの斬新、時代がぐんと展開してしまった驚愕の記憶、その体験が忘れられない為にあの辺の世代の人々は未だにテレビを第一に信用して有り難がっているんだろう、と思った。まあさらに云えば余の世代にとってはインターネットがそういうテレビ的なもの、てことになるんだがここでタイムズアップップ。

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テレビ・サイズ

 オリムピックに殆ど興味が向かない乃公であるけれども、それでもやっぱり先般のフィギュアスケート浅田選手が見せた、僅か一日の間に地獄と天国を行き来したような演技の凄み、にはまったく感心すること頻りで御座った。二言目にはメダルメダルと云って憚らないテレビ視聴者に対して、超弩級の天才のみが表現出来る、勝敗を超越したところにあるなにか物凄いもの、を見せつけたようでまったく恐れ入るばかりと思った。にしても、浅田選手がそんなとんでもないものを表現したと云うのに、それを伝える放送のなんとだらしのないことか。あれだけの表現をした存在に、競技が終わった直後に直接インタビューをする得難い機会だと云うのに、なんか、普段はスポーツとまったく無縁の、バラエティ番組の片隅でワイプと云うのか、小窓様の別画面の中で微笑んでいるのが仕事、みたいな女子アナの人が登場して、要約すれば「ねぇねぇいまどんな気持ち?なんでさっき泣いてたの?ねぇねぇねぇ」という知性の欠片も感ぜられない質問を丁寧語で尋ねるばかりの脳味噌つるつるなインタビューを平気に放送していて、なんつーか、所詮我が朝のスポーツの周辺は森喜朗の物言い程度の感覚にしか取り巻かれていないのだなあ。と暗澹たる心持ちになった。難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く。という井上ひさし大人がよく云っていた言葉を心に抱かんければいかんよね。

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男子三日会わざれば

 こんちわ。いつの間にかWi-Fiの電波が豊富に飛び交う世の中になっていてびっくらこく。地下鉄や郊外電車のプラットホームはもちろんのこと、昨年辺りからは路線バスの車内でも公衆無線Wi-Fiの電波が飛び交うようになった。まことに素晴らしいことである。思えばユビキタス。なんてな言葉が遥かに遠い未来予想図、とイーコールだったのはもう十数年も昔の話。気が付けは世の中の殆どの人が掌の上に、キレイな絵や音が表示される素敵な電気で動く板ッ切れを乗せて、それをばちょねちょね弄って便利に愉快に日々を暮らしていて未来は今。時代は知らん顔してどんどん前に進んでいく。路線バスの車内にWi-Fiが飛ぶ時代にあって、キャリアがアクセス利用量の制限を設けたりしているLTEなどの携帯ネットワークは果たして時代のどの辺にいるのか。少なくとも最早最先端ではなかろうて。斯くして、時代の最先端だったものがどんどん遅れた存在になっていく。常勝チャンピオンなんてくそ喰らえだよ(C)前田日明。つってな。

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王様の耳はロハの耳。

 スマホタブレットであすばれるゲームの販売価格は下落を続け、昨今では基本無料が当たり前になった。朕のように貧苦にあえいでいる人間にとっては有り難い話である。けれども古来より「タダより高いものはない」なんてなことが云ってあるように、無料のゲームをあすぶには精神的な代償を払わされるのもまた事実。具体的には、昨今のスマホタブレットのゲームはとかくフレンドの申請や登録、なんつって、ネットの向こう側にいる見ず知らずの人と強制的に友達関係を結ばされ、協力してゲームをプレイすることを強いられる。これが朕のような、人付き合いの才が著しく不足しているような人間の屑にとってはまことに辛い。『スペースインベーダー』の昔から朕にとってコンピュータゲームとは、現実の世界と隔絶してひとり、空想の世界にあすぶためのものに他ならない。苦手な人間関係から隔絶してひとり、物語世界の中で主人公として振る舞う。これが朕にとってのコンピュータゲームだ。ところがスマホタプレットのゲームでは有無を云わさずフレンド登録なるものをさせられ、見ず知らずの人と手に手を取ってゲームをあすばねばならない。そんなのイヤじゃん。現実世界でそういうのが苦手だからゲームの世界に逃げ込んでんのになんでまたゲームでその苦手をやらなくっちゃいけないの。でももうこれからはゲームはそうもの、てのが前提になっていくんだよなあ。いやだなあ。やっぱりタダより高いものはないよなあ。

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人類の進歩と調和

 街を歩いていて驚いた。目に飛び込んできた一枚の大きな広告。そこには元AKBの顔面センターの人が、動物のサイと向き合っている巨大な写真。はてこれはいったいなんだと足を止めてよく見たところ呆然。そこには「20代の転職任せなサイ」と宣伝惹句が大書されている。まさか。そんな馬鹿な。そんな阿呆な。21世紀に突入してはや十四年に垂んとするこの日本にあって、いまどき、まかせなさい、の、さい、と、動物のサイをひっかけるなどという、脳味噌つるつるみたいな低劣な駄洒落を堂々と使う。なんてことが有り得るのだろうか。てな塩梅で、眼前の広告の意図するところを俄に察し兼ねて、暫し考え込んでしまった。ひょっとしたらこれにはなにかダブルミーニング的な意味合いがあるのではないか。菅野美穂が嘗てイグアナの娘だったように、元顔面センターの人にも何か嘗てサイと繋がる要素があったのではないか。なんて考えてみたのだがわからない。やはり「さい」の音がかかっているだけとしか思われない。真にそうだとしたらまったく信じ難いことである。これだけの巨大な広告だ、一流の大学を出て一流の企業に入り立派なスーツを着こなし億の金を動かしているような人々が喧々囂々たる会議の果てに産み出したに違いない。そうして世に産まれたのが「さい」の音がかかっているだけの駄洒落が大書された広告。まったく恐ろしい。思考面に於ける人類の進歩が止まってしまったのではないか、という恐怖がこの広告には凝縮されている。まったく恐ろしい。

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新しい革袋に古い酒。

 ふと思った。インターネット全盛の世の中になって発展したもののひとつにコラージュがある。話題になったニュースの写真をチョイと切り出してチョイと加工、すればあら不思議、真面目なニュースの写真があっという間におもしろ写真に早変わり。というアレだ。この数日間では、美事、冬季五輪で金メダルを獲得したフィギュアのなんとか云う選手が、最初の演技で百点越えを果たした瞬間に驚くコーチの写真がよくコラージュされている。で、そのコラージュてやつ、誰が拵えても一定の面白さを創出出来、また、誰が見てもだいたい同じような感想を抱かせることの出来る代物だ。以前から、これって何かに似てるよなあと思っていたのだが、アレだ、昭和のおっさんが云っていたいわゆるところのオヤジギャグだ。云うほうにも聞くほうにも素養センス知識の類いがまるで必要とされない、極く簡易簡便なる笑いであるところのオヤジギャグに相当するのが昨今流行りのコラージュだよなあ。と思ったりなんかしたりしちゃってこのぉー。と、広川太一郎の口調を真似たところで本日はタイムズアップ。

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