The Garbage Collection(V3.0以降)blog ~十分一本勝負~

十分間だけをかけて何事かを書きます。気が向いたときとかに。

時代のアイコン

 たといばゲーム機。こないだPS4が出たけれども考えてみたらあれだ、初代のPSが出てから既に二十年以上が経過してしまっていてまったく驚いちゃうよね。しかし驚くのはその経過した時間の長さばかりではない。発売から二十年が経過したいま、初代PS、或いは同時期に発売されたセガサターンのことを思い出すだに、その印象に「新しいもの/新規なもの」というイメージが付与されている。二十年前のものなのにどこか新しいものを見るように思っている。これはいったいなんだ。と思って少しく考えてみたところ、つまり、余のような爺にとって、初代PSやセガサターンなんかのゲーム機てのは、まったくもって新規なものだったのである。後から出てきた斬新なものだったのである。次世代機、なんつわれて、任天堂絶対王朝の世界から、コンシューマゲームの時代を大きく転換/前進させた革新だったのである。この印象と記憶はたとい二十年経っても消えることはない。むしろ、記憶の美化/強化の影響もあって強まっている。それが為に、二十年も昔のゲーム機を思う際に、まるで新しいものを見るような印象がついて回ってしまうんである。と、ここまで考えて不図思う。我々の親の世代、つまりあ戦中産まれから団塊の世代の人々にとっては、きっと、テレビってそういうものなんだろうと思う。テレビが世の中に産まれ、映像娯楽が家庭の中に入り込んでくるというそれまで未体験だったことの斬新、時代がぐんと展開してしまった驚愕の記憶、その体験が忘れられない為にあの辺の世代の人々は未だにテレビを第一に信用して有り難がっているんだろう、と思った。まあさらに云えば余の世代にとってはインターネットがそういうテレビ的なもの、てことになるんだがここでタイムズアップップ。

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